タグ

南京虐殺で何人殺されたか、こないだの沖縄県民教科書書き換えろ大会に何人集まったか、などということは到底はかりしれないことであって。「人数を数える」という最低限の管理さえ、行き届かないほどわれわれというのはマスである、めっちゃたくさんいる。
むかし、俺が学校で番号順に名簿に載って市民社会の権力から名指しを受けた、あの「教育」というのはかなり異常な状態というか、ものすごいコストのかかることだろう。
実際、ケーサツなんてものたかがン万人しかいなくて、やろうと思えば簡単に蹴散らせる。っていうのは、銀行が預金より何倍も貸し出すような信用ってものでもってるだけだしな。
そういうごちゃごちゃしたなかで、管理するのは大変だから、しょうがないから、われわれは「男」「日本人」「21歳」「学生」などといういくつものタグを引っさげて歩いている。人のタグ見てはああだこうだ判断する。
しかしながらここで、だ、「男」が「女」に、欧米で「白人」が「黒人」に優越したように、流行りで「正社員」が「非正社員」に、てのもあるけど、タグというのは何らか汚い権益を守るためにもつときってのが結構あってね。でやはりソーシャルにモノを考えていくとそういうタグは徐々になくしていったほうがいいらしくて、何か、もってるだけで後ろめたいんだよね。
でもタグがなくなったとき俺って何だ?