残り時間

資本の論理がうずまくその末端にいて、空間的な意味でも社会的な意味でもあちこち飛ばされるちっぽけな存在であるだけに、いま俺の身近にいる人ともそう長くいっしょにはいられないだろう。ひかないでね。
むかし卒業式のとき思ったのは、別に証書入れ持って友だちと別れるのは存外だいじょうぶにしても、この音楽室の扉を開くことは俺が死ぬまで二度と(二度と!)ないだろう、というのはつらいことだった。
いま、あの人やあの人と死ぬまでに一緒に過ごす残り時間という悪趣味な想像をすると千時間を下ったり、ときに百時間を下るのかな、と考えたりする。まして一人暮らしの身で親と過ごす残り時間を考えるとゾッとする。
まあいいじゃないかあの時はあの時で一緒だったけどいつまでも一緒にいるわけじゃなし、と割り切ることも必要だけれども、俺はふだんから、関係が長続きする見込みのない人と接するのが苦手なのもあって、ついつい悲壮な気持ちにくれたりする。
まあなんだ、だからいま知ってる人、これから知り合う人との間で残された少ない少ない時間は精一杯「いい人」でいようと思う。
なんだかおじいちゃんみたいだな。でもまあ大学4年ておじいちゃんみたいなものだもんな。