先人の教え

漁業とかのおっちゃんは古くからの言い伝え「何々は晴れ」「何々は雨」で次の日の天気をしっかり把握するとかいうよね。何もたいそうな気象観測の衛星やら観測所なしにね。
それは別に自然科学だけじゃなくって社会科学のほうでも、おれがたいそうな『現代社会のなにがし』を読んでも、だいたい言ってることは結局あの古い言い回しとかことわざに近いなぁ、と思うことがたびたびある。おれの読解力への疑問はさておいて。
やや感動したのは、「わかる」というのは「分かる」と書くけど、もともと連続した、未分化、分類不能な世界を「分ける」ことで「わかる」、何か記号論だの認識論だのでわいわい言ってる辺りがもうすでに昔からあるコトバに入ってしまっているように見える?のが、何だかね、すごいのか?
いやでも「名は体をあらわす」っていいよなぁ。そう、肩書きとか着てる服とか言葉遣いとかテンパり具合とかもろもろの外見、「名」っていうのと、どこか外見と区別されてその存在が信じられてる実質とか性格とか、「体」てのは区別がつかんと思うよ。というか「体」ってないと思うよ。