記憶されない自分史

何というか、小心者なもので、小学校のときとかは、自分がいま経験していることを後になって忘れてしまうということが無性に怖かった。自分の歴史は自分しか覚えてないとしたら、自分が忘れちゃったらそれ自体存在しなかったことになるんじゃないかって。いまの自分を将来、誰にも(自分にさえ!)認知されないというのは、さびしい。
だから10円アメ玉の「当たり」を見つけたのはこの場所で、日が暮れるちょっと前とかいうすごくくだらないことを一生懸命覚えるぞ、覚えるぞ、と自分に言い聞かせて、1週間くらい経ってまだ覚えている自分に満足したりした。
ところがそれがあるときまったく無意味であることに気づいたときから、なんだかモヤモヤした不充足感が消えなくなった。
最近特に機嫌がよくないことの一因も、そういうことかもしれない。