携帯代

こないだ携帯ショップで40分くらい順番を待たされて少しイライラしていたところ、前のやつが店員から機種変更と料金プランの説明を受けていた。
そのときに考えたんだが、携帯代を安くしよう、と思えばどの会社どの機種どういう使い方という選択肢がその都度わたしの前に立ちはだかる。理論上はもっとも正しい選択があるはずである。が、今やっている「auで、プランMで、長電話は極力なくす」という使い方が正しいかといえば自信がない。
しかし正しい選択をしようにも選択をなすために必要な知識を集めるのはなかなか難しい。まずあのゴチャゴチャした各社各プランの料金表とか手数料を熟読しなければならない。でも待てよ、3か月後には携帯の使い方がまったく変わっているかもしれない。てかいまショップで待ちぼうけをくらっていることもコストに勘定すべきかもしれない。そうやっていろいろな要因を考える時間それ自体がコストになるなら、最初から特に考えずに選択したほうがいいのかもしれない……。
じゃあ俺の前にいるこいつが店員から受けている説明に何の意味があるんだ?
まあその携帯に限らず、わたしという人間ひとり生きてゆくのにはあらゆる場面であらゆる選択をするが、そのためにいちいち科学的な正しさを備えるための膨大な事例やデータを参照することは現実的にできない。
だからわたしは科学的論理的には生きていないし、わたしに限らずみんなそうである。信じがたいことだが、人生を大きく左右する選択においてもまたきっとそうなのだろう。