不幸の刻印

幸せな人からすればまったく理解の及ばないところだと思われるが、不幸な人は自分から不幸を切り離したとしてもなおそれが不幸なのである。つまり不幸な人は不幸を一定程度、心の拠り所にしている面があるのである。
不幸な人のところへ幸せな人がやってきます。そんなことで何をくよくよしてるんだい、ほらごらんよ、ちょっと考えを変えればいいのさ、君だってこうやって幸せになれるんだ。
不幸な人がさっきまで持っていた不幸はこうして取り除かれた。しかし一度不幸を刻印された人はどうも落ち着かない。それまで自分の不幸をハンディ視して、見えない上げ底靴をはいてようやく、人と同じ目線に立っていたのに、いざ素足で幸せの領域に投げ出されると幸せなやり方というものがわからないのである。
なので不幸なやつはほうっておくのが一番という考えも長く支持されてきたところで、階級社会などというのは格好の例である。
きょうの卒論文字数:8982字